平松愛理さんといえば、1992年3月21日にリリースした『部屋とYシャツと私』がヒットし、ミリオンセラーとなったシンガーソングライターです。
懐かしいですね!
最近は、あまりテレビでもお見掛けしませんでした。
平松愛理さんの現在は、何をされているのでしょうか
ご結婚はされているのでしょうか。
徹底調査します!
平松愛理さんのプロフィール(時々、ツッコミます(笑))
平松 愛理(ひらまつ えり)
生年月日 1964年3月8日 (年齢 55歳)
出身地 兵庫県 神戸市
身長 158cm
血液型 A型
出身校 親和中学校
親和女子高等学校
↑中高一貫のお嬢様学校
神戸海星女子学院大学
↑女子校育ちですね!
職業 シンガーソングライター・作詞家・作曲家
↑他の人にも楽曲提供されている?
エッセイなどの執筆業もされているとか
レーベル ポニーキャニオン(1989 – 1999)
ユニバーサルミュージック(1999 – 2011)
テイチクエンタテインメント(2011 – 現在)
事務所 ひらまつ堂
↑自分で経営してる?
公式HP 平松愛理オフィシャルサイト
平松愛理さんのシンガーソングライターの経歴
平松愛理さんが、音楽と出会ったのは3歳の時。実家の隣の女の子が電子オルガンを習っていたのがきっかけ。
すぐに自分もオルガン教室に通うようになり、4歳からはオルガンの他にピアノも習い始めます。
隣のお姉さんの習い事がきっかけって、『あるある』ではありますが、それを受け入れて習わせてくれるご両親は稀少だと思います。
クラシックバレエ・ピアノ…etc
ウチはことごとく、却下されましたよ?(汗)
そして平松愛理さんは10歳の頃には、お兄さんとカーペンターズを演奏しながら、お兄さんの歌声にハモるほど上達していました。
「お兄ちゃんと、演奏しながらハモるぞ!」
平松愛理さんは、そんな風に身近な人と楽しむことを、目標設定していたのかもしれませんね。
17歳からバンド活動を始め、1986年の22歳の時に東京へ上京します。
アルバイトをしながら、曲を売り込みに行く生活を3年ほど続けた後、ようやくソロデビューを果たすことに成功します。
意外と下積み時代が長かったんですね。
シンガー・ソングライターって、バイト漬けになると、作詞や作曲をする時間がとれなくて、結局挫折してしまいそうで、難しそうですね…。
1992年、アルバムからシングルカットした「部屋とYシャツと私」が大ヒット!ミリオンセラーとなり、ブレイクを果たします。
この時の事、私も憶えてますが、すごかった!
テレビつけても、街中で流れる音楽にしても『部屋とYシャツと私』一色でした。
さだまさしさんの『関白宣言』になぞられて、『女バージョン関白宣言』なんて言われてました(笑)
若い子は、平松愛理さんを知らないと思いますが、西野カナさんの『トリセツ』っぽい曲といえばピン!と来るかもしれませんね(笑)
全くどうでもいいことですが…
実は私、『部屋とYシャツと私』大ヒット時代の平松愛理さんに顔が似ている、とよく言われていました(笑)
平松愛理さんのご結婚は?旦那さまはどんな人?
平松愛理さんは、ご結婚されたのでしょうか。
調べたところ、結論からすると、
『現在は独身』つまりバツイチのようです。
平松愛理さんは、1994年1月29日 共に楽曲制作をしていた編曲家の清水信之さんと、ご結婚されました。
しばらくお仕事も二人で、共同作業をすることもあったようですが、
第一子を出産後は、
「両親ふたりとも、家を遅くまで留守にするのは、育児に差し障る」
という配慮から、夫婦で組んで仕事をするのは差し控えるようになったそうです。
その頃くらいから、平松愛理さんをメディアで見かけることが少なくなった気がします。
2005年8月2日、平松愛理さんと清水信之は離婚されてしまいました。
原因は子育てと仕事とですれ違い…。
これは私個人の見解ですが…
おそらく清水信之さんは、平松愛理さんが子育てが落ち着いても、芸能界に戻ることを良しとしなかったのではないでしょうか…。
「両親ふたりとも、家を遅くまで留守にするのは、育児に差し障る」
この言葉が、清水信之さんの考えが大部分であったとするなら、全てを物語ってる気がします。
でも報道によると、二人はけして争って離婚したわけではないし、憎み合っての離婚ではないそうです。
慰謝料等も特に生じず、娘(親権は平松愛理さんが得ました)の学校行事には、父母揃って参加しているようです。
離婚されたことで、以前の仲の良さを取り戻すケースって多いですからね。
お互いの距離がベストになったなら、離婚してよかったのかもしれませんね。
平松愛理さんは子宮内膜症と乳がんを患う
実は平松愛理さん、大病を2種類も患っていたことがわかりました。
子育てもありましたが、大半、闘病生活のため、芸能活動を休止していたようです。
子宮内膜症は、デビュー当時から患っていて、毎日の様に痛みに煩わされ続けていたことを明かしています。
1996年に女児を出産する際、子宮内膜症が影響し、母子共に危険な状態に陥ってしまったそうです。
そしてとうとう、2001年、子宮内膜症が悪化し、子宮を摘出しなくてはならなかったようです。
平松愛理さんがデビューしたのは、1987年。
9年間も痛かったなんて、きついですね(汗)
当時の芸能界は、いったん売れ始めると、人気が下がるまで週のお休みさえ、なくなってしまいましたから、通院もできなかったんだと思います…。
これで厄も落とした…と私は感じたのですが、
平松愛理さん、これだけではなかったのです。
子宮を摘出した半年後、今度は乳がんが見つかります…。
これには、音楽活動の休止を余儀なくされ、闘病生活にはいりました。
8回の乳房温存手術を受け、がん組織を摘出に奮闘したようです。
8回って…(汗) 若いし温存したいですよね…。費用も莫大だったと思います。
よく頑張りました!
2004年に乳がんを克服したようです。
2004年4月21日、新曲「YOU ARE MINE/部屋とYシャツと私2004」をリリースし、歌手活動を再開しました。
闘病手記「部屋とYシャツと『私の真実』」も執筆。これ以外にも雑誌、新聞にエッセイも執筆されました。
あれから15年。
いまのところ、乳がんは再発していないそうです。
食生活に気をつけ、無理や不摂生はしないようライフスタイルを気をつけているようですね。
平松愛理さんの現在の活動は
すっかり元気を取り戻した平松愛理さん。
今後、病気を乗り越えた熟女として、講演活動やディナーショー、Youtubeや楽曲提供など、忙しくしているのかもしれませんね。
2019年8月28日「部屋とYシャツと私」のその後を描いた新曲「部屋とYシャツと私~あれから~」を30周年シングルとして発売もされていました。
忙しすぎてストレスでまた病気にならぬよう、今度こそ、自分の好きなペースで好きな音楽に取り組んでいってほしいですね。
結論:平松愛理さんは人生の荒波を乗り越えて今度こそ幸せに
さてここまで、平松愛理さんの経歴と結婚、闘病そして復活などを見てきたわけですが、最後に今回のポイントを振り返ってみましょう。
- 3歳でオルガン 4歳でピアノをならい、子供の頃から音楽が好き
- 17歳からバンド活動。25歳頃ソロデビュー。意外にも遅咲きだった
- 『部屋とYシャツと私』がミリオンセラー。一躍、時の人となる
- 結婚はするも、すれ違いが原因で離婚
- 子宮内膜症で子宮摘出と乳がんの闘病生活を余儀なくされ芸能活動休止
- 2004年、乳がん克服。闘病生活の執筆業なども加わり、再びアクティブに活動
- 2019年8月28日30周年シングル『部屋とYシャツと私~あれから~』を新曲リリース
いかがでしたでしょうか。
若い頃は、離婚や病気で波乱含みでしたが、全てに向き合ってきた自分を誇りに思って、今度こそ幸せになってほしいですね。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。