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梅宮アンナのモデル時代はお騒がせセレブ?梅宮辰夫の溺愛ぶりは異常

昨年2019年12月12日に81歳でお亡くなりになった俳優の梅宮辰夫さん。

生前の梅宮辰夫さんが溺愛していた、愛娘の元モデルでタレントの梅宮アンナさん。

 

その梅宮アンナさんが、お母さんと娘さんを連れ、2/21の『ダウンタウンなう』のはしご酒のコーナーにゲスト出演しました。

 

梅宮アンナさんに対する梅宮辰夫さんの溺愛ぶりは有名で、

また梅宮アンナさんもモデル時代は、海外セレブもびっくりの『お騒がせセレブ』だったことがあります。

 

ですから、梅宮辰夫さんと梅宮アンナさん(と元恋人の羽賀研二さん)の攻防は日常茶飯事でした(笑)

 

梅宮アンナさんのモデル時代の経歴や若い頃の画像は

梅宮アンナさんに対する梅宮辰夫さんの異常なほどの溺愛ぶりとは

元恋人の羽賀研二さんとの騒動は

 

徹底調査します。

梅宮アンナさんのプロフィール(時々ツッコミます(笑))

 

梅宮 アンナ(うめみや アンナ)

生年月日  1972年8月20日 (年齢 47歳)

 

出身地  東京都

出身校 若葉会幼稚園 卒園

川村小学校 卒業

川村中学校 卒業

↑私立の女子校ですね

東横学園大倉山高等学校 卒業

↑川村の高校にはいかなかったんですね

文化学院専門学校中退。

↑モデルの仕事が忙しく?

 

身長 168cm

血液型 O型

 

特技 茶道

↑お嬢様らしい

趣味 スキー

 

職業 ファッションモデル、タレント、YouTuber

 

事務所 株式会社BRUTUS

 

梅宮アンナさんのモデル時代の経歴や若い頃の画像は

 

 

1990年、街でスカウトされてファッション誌 『JJ』に専属モデルとなりました。

 

ん?

この時代『読モ』ってなかったんですかね?

それとも、『読モ』を飛び越えていきなり『専属モデル』

すごいですね!

 

以前から『梅宮辰夫の娘』として、度々テレビ出演もしていたこともあって、

1990年代半ばになると、タレントとして、テレビのバラエティ番組などにも多く出演されるようになったようです。

 

当時の梅宮アンナさんの画像をご用意しました。

どれだけ可愛らしかったか、ご覧ください。

 

 

ハーフの可愛らしさが前面に出ていますね。

現在とあまり変わらない?

 

 

脚長いですね!

ワイルドな大人っぽさですよね。

 

 

ほっそりとして綺麗ですね。

ファッションモデルらしいショットですね

梅宮アンナさんに対する梅宮辰夫さんの異常なほどの溺愛ぶりとは

 

梅宮辰夫さんの独身時代の若い頃は、イケメンで遊び人という定評があったのですが、晩婚の末に授かった一人娘のおかげで、ライフスタイルとイメージが激変!

 

子煩悩なイクメンパパに変貌しました。

「子供の世話は母親の仕事」

な昭和の時代に、躊躇なく娘の世話をして喜んでた『元祖イクメンパパ』

 

 

小中高と梅宮アンナさんの学校のお弁当は、料理好きな梅宮パパの手作り

 

ある時、某番組で梅宮辰夫さんが梅宮アンナさんにいつも持たせる、手作り弁当をクッキングしていたのですが、

 

「海苔はこまかくちぎって乗せないと、フタにくっついちゃうからさ…」

 

と、ふっくらした手で、細かくちぎった海苔を丁寧に、お弁当に敷き詰めていた姿が、今でも印象的に憶えています。

 

その他にも、小学校時代の梅宮アンナさんのお小遣いは、1日1万円だったとか!

1ケ月1万円でも、え~~っ!て思うのに、『いちにち』ですよっ

1ケ月30万円!?大卒初任給をはるかに超えてますね…

 

元恋人の芳賀研二さんとのお騒がせセレブ伝

 

 

1994年頃、梅宮アンナさんは、当時タレントの芳賀研二さんとの交際が発覚しました。

 

これに梅宮辰夫さんは大激怒し、交際を猛反対され、連日報道陣に囲まれたコメントで、親子の攻防戦を繰り広げていました。

 

いくら梅宮アンナさんを溺愛してるとはいえ、この猛反対ぶりは異常じゃないか…

いや、娘大好きパパだから、ショックは大きいのだろう…。無理もない…

 

などなど、視聴者の間でも賛否両論、大変盛り上がりました(笑)

 

芳賀研二さんも、コメントを求められる場面もあって、

 

 

「梅宮辰夫さんに認めていただけるよう、誠意をもって…誠意ある僕の姿を見ていただいて…誠意を云々…誠意でカンヌン…」

 

などと『誠意』を連発するコメントに、

『誠意大将軍』

という異名がつけられるエピソードもありました(笑)

 

結局、梅宮パパの反対を押し切り、二人は交際を続けていたのですが…1995年のある日、

梅宮アンナさんは、芳賀研二さんと二人で、ヌード写真集『アンナ 愛の日記』を出版したのです。

ヘアヌードならぬ『ペアヌード』 と呼ばれるなど、話題騒然!

 

当時多額の負債を抱えていた羽賀研二さんが、自身の借金返済のために企画したものだとも噂されました。

梅宮アンナさんはこれを否定し、

「私一人で考えて、純粋にメモリアルとしてやったもの」

と釈明されました。

 

その後、梅宮アンナさんは、芳賀研二さんの借金の連帯保証人となって、多額の借金を抱えることにも…。

 

結局、1999年に破局を迎えたのでした。

 

…後に、芳賀研二さんは詐欺事件の容疑で逮捕されました。

 

う~ん…

梅宮アンナさんは『ダメな男』に弱いタイプだったんですね(汗)

 

梅宮辰夫さんは、このことが予測できていたのでしょうか。

だから、あんなにも猛反対したのかもしれません。

 

梅宮アンナさんも、芳賀研二さんとの破局のコメントで、

「パパが正しかった…」

と言っていました。

結論:梅宮アンナさんは『ダメな男』に弱い、お騒がせセレブだった

さてここまで、梅宮アンナさんのモデル時代の画像や、梅宮辰夫パパの娘溺愛ぶり、芳賀研二さんが絡んだお騒がせ事件などを見てきたわけですが、最後に今回のポイントを振り返ってみましょう。

 

  1. 街でスカウトされいきなりファッション誌『JJ』の専属モデルに!
  2. 以前より『梅宮辰夫の娘』としてテレビ出演していたこともあって、バラエティ番組などに多く出演
  3. 梅宮パパの娘溺愛ぶりがすごい!毎日、梅宮パパの手作り弁当を持たせたり、1日の小遣い1万円だったり
  4. 芳賀研二さんとの交際に梅宮パパは猛反対。パパの読みは正しく、梅宮アンナさんは激しく振り回される。

 

いかがでしたでしょうか。

梅宮辰夫さん。

晩年は、離婚して帰ってきた梅宮アンナさんに介護され、看取ってもらって、幸せな最期を迎えたそうです。

 

よかったですね。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

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