国際政治学者の三浦瑠麗さん。
国際政治学者とは、国際社会における主権国家の政策決定、安全保障、戦争と平和などの政治を検討する学問のこと。
簡単に言うと、
「戦争をせずに、どの国もいかに、平和に安全に暮らせるか」
を研究&検証している方々のことを言います。
その、美人 国際政治学者の三浦瑠麗さんが、実は壮絶な人生を送っていたことを本に明かしています。
一体どのような人生経験をしたのか
現在の夫や娘との結婚生活など
三浦瑠麗さんのプロフィールもおさらいしつつ、徹底調査します!
三浦瑠麗さんのプロフィール(時々、ツッコミます(笑))
三浦 瑠麗(みうら るり)
別名 濱村 瑠麗(旧姓名)
生年月日 1980年10月3日(39歳)
↑40歳直前とは思えない美貌です!
出身地 神奈川県茅ヶ崎市
血液型 A型
身長 不明
↑スラリとした高身長の方に見えますね
出身校 東京大学
職業 国際政治学者・経営者
会社 山猫総合研究所
↑会社も経営されているのですね。
【家族】
配偶者 三浦清志
↑同じく東大卒の超エリート。
アメリカに本社がある超大手コンサルティング会社「マッキンゼー&カンパニー」にお勤めなんだとか!
子 娘さん
ペット やんちゃな猫
ビビりな犬
↑台風19号は無事でしたでしょうか…
三浦瑠麗さんの現在は、夫や娘と理想を絵にかいたような幸福な人生
三浦瑠麗さんといえば、
頭がよく東京大学出身で著名な国際政治学者で、
旦那様の三浦清志さんも東大卒のエリート中のエリートで、
自由なお金もあって、
そして何より可愛らしい娘さんがいて…
『幸せ』や『成功』を、絵に描いたような人生を、歩んでいるように見えます。
しかし、これまでに壮絶な人生を、体験しています。
三浦瑠麗さんの①小中学校時代の壮絶なイジメ
中略
同じ学年の女子部員たちに練習で組んでもらえなくなりました。にらまれたり、敵意むき出しの罵声を浴びせられたりすることも。
最後には、顧問の先生と彼女たちが相談して私との「話し合い」をすることになりました。
そのとき先生が決めたルールは、
みんなが言いたいことを吐き出し終わるまで私は何も言ってはいけない
というもの。
多数の側に置かれている人はひょっとしたら気づかないのかもしれないけれど、それは話し合いじゃないんですね。一方的なだめ出し裁判みたいなものです。
私も、コレ経験あります。
中学生頃、ある日突然『無視』がはじまり、
何故、そんなことをするのか尋ねると、放課後残るように言われ、
壇上に一人、立たされました。
無視した全員が矢継ぎ早に『ムカつく理由』を感情のままに述べていくのを、壇上に立たされたまま聞いています。
少しでも反論しようものなら、全員でブーイング。何も言わせない作戦。
魔女裁判みたいなイジメ…。
そして次の日も、相変わらず『無視』
私の時代は、スマホもLINEもなかったから、ネットを使ったイジメがないだけ、マシでしたけど。
三浦瑠麗さんの②14歳の頃に受けた集団性的暴行の被害
自伝『孤独の意味も、女であることの味わいも』(2019年5月15日初版発行 新潮社 )
で、14歳の頃、「初めての経験」で、集団レイプ被害に遭ったことを明かしています。
14歳、中学3年生のとき、小説を読みながら帰宅していた三浦さんは、後ろから寄ってきたバンに乗っていた男たちに声をかけられた。
あとはあまり覚えていない。覚えているのは痛みと、死ぬのだろうな、という非常にリアルな感覚だけだ。私の頸に手をかけたそのうちの一人ののっぺりとした眼つきが醜くて気持ち悪く、せめてもっと楽な死に方をさせてもらいたかった。少なくとも一人は知っている顔だったと思う。
殺風景な新幹線の高架下で、ほらよ、と放り出されて、私はバッグとスカーフを胸に抱えて家までよろよろと歩いた。自分がどんなにぼろぼろでも、いつも通りの田舎の風景は微塵も私の心に寄り添ってはくれなかった。
きちんと閉まった正面の門を避けて庭の戸口から入り、母が茅ヶ崎の庭から持ってきて植えたあんずの木の下で、隠れるように外水栓の水で顔と手を洗った。制服を脱ぎ捨てたのち、手負いの狼のように私は炬燵の中で唸った。下腹部の痛みが尋常ではなかった。手でさわると血がついた。
(「初めての経験」より抜粋)
そのときは母親には言わなかった。警察に通報しなかった。産婦人科にも行かなかった。
その後、付き合った男性には言ったり言わなかったりしたけれど、この体験をもって、自ら性暴力被害の当事者だと表明したこともなかった。
性犯罪をめぐって意見表明したツイートが炎上し、謝罪したときでさえも。
こういう体験を、よく文章にしたと思います。
トラウマがフラッシュバックして、下手するとPTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こす可能性がありますよね(汗)
事件の体験から逃げずに、向き合った勇気は、とても強いと感じました。
三浦瑠麗さんの③初めてのお子さんの死産
「一番辛かったのは、一番最初の子供が亡くなった時」
三浦瑠麗さんは、そうメディアで語ったそうです。
①②の壮絶な体験があったにも関わらず、一番辛かったことだと。
私も、初めての子供を流産しました。
「明日、4か月目で安定期に入るね!」
その夜の出来事でした。
4ヶ月目なのに、なぜか陣痛がきて…
鈍痛にのたうちまわりながら、
「どんなに私を苦しくしてもいいから、お願い!逝かないで!」
そう一晩中願い続けた事、今でも鮮明に憶えています。
…願いもむなしく、
その痛みは『出産』の痛みではなく、『流産』の痛みでした…
あまりのショックで、しばらく子供を作れずにいました。
立ち直るのに、だいぶ時間がかかったな…。
結論:三浦瑠麗さんは壮絶な人生を乗り越えて、誰よりも幸運に
さてここまで、三浦瑠麗さんの理想的な幸福な現在の人生と過去の壮絶な人生を見てきたわけですが、最後に今回のポイントを振り返ってみましょう。
- 三浦瑠麗さんは、美人国際政治学者。世界の平和と安全を研究
- 旦那さんも東大卒のエリート。娘さんも授かり、幸せを絵に描いたような三浦瑠麗さんの人生であるが…
- 三浦瑠麗さんの過去は、壮絶な人生だった!イジメ・集団レイプ・子供の死産を経験
- 壮絶な人生と向き合う姿勢が見える書籍を出版。さまざまな悩みを抱える人達のバイブルに
いかがでしたでしょうか。
三浦瑠麗さん、堂々とした才色兼備な姿からは、想像もつかない過去でしたね(汗)
ですが、壮絶な人生を経験したからこそ、現在の幸せに感謝して大切にできると思います。
これからも、幸せな人生を送ってほしいですね!
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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