『ダンシング・ヒーロー』など多くのヒット曲で知られ、2017年頃に『バブリーダンス』と共に再ブレイクを果たした荻野目洋子さん。
これをきっかけに現在もまた、アクティブに活躍中のようです。
荻野目洋子さんのデビュー当時などの経歴やエピソードは?
若い頃や現役『ダンシング・ヒーロー』は?
荻野目洋子さんのプロフィールなども、あらためて徹底調査します。
荻野目洋子さんのプロフィール(時々突っ込みます(笑))
荻野目 洋子(おぎのめ ようこ)
出生名 荻野目 洋子
別名 辻野 洋子(本名)
生年月日 1968年12月10日 (年齢 51歳)
出身地 千葉県
↑ご実家は台風被害は大丈夫だったのでしょうか…
血液型 B型
身長 160 cm
出身校 堀越高等学校卒業
著名な家族 配偶者:辻野 隆三 (2001年~)(元プロテニス選手)
姉:荻野目慶子(女優)
↑どちらも人気の『美人姉妹』だった。
職業 歌手・女優・タレント・声優
↑あだち充原作の人気漫画『みゆき』の、『若松みゆき』(妹の方)のCV担当
レーベル ビクターエンタテインメント
事務所 ライジングプロダクション
荻野目洋子さんはどんな人?80年代アイドル
小学生ユニット 「ミルク」時代
1978年(昭和53年)小学4年生の頃、テレビ番組『ちびっこ歌まねベストテン』(東京12チャンネル(現:テレビ東京))に出演していたところをスカウトされて、芸能界デビューしました。
同じ番組に出演していた2人と小学生ユニット「ミルク」を結成。
79年4月に「ザ・あれからいちねん」、80年8月に「リトル・キッス」
と、2枚のシングルをリリース。
「今からこの世界に浸かってしまうと勘違いしてしまう」
と考え、芸能活動を休止し、学業に専念することを決意したのは、11歳の夏でした。
11歳だったら、後先考えずに芸能界入りを喜んで、浮かれてしまいそうですが…(汗)
荻野目洋子さんは、子供の頃からしっかり者だったんですね。
まさかの『スタ誕』落選!しかしそれが本気になるきっかけに
荻野目洋子さんが、再び芸能界に目を向けたのは中2の時。
歌への思いを断ち切れず、『スター誕生!』(日本テレビ系)に応募します。
しかし、なんと落選してしまったのです(汗)
落選したことが悔しくて、より本格的に、歌やダンスのレッスンに打ち込んだのだそうです。
小学生時代から、歌唱力に定評のあった荻野目洋子さんでしたから、『落選』は相当ショックだったでしょうね…(汗)
でも、そこからさらに歌唱力を磨き、ダンスにも真剣に取り組んだ荻野目洋子さんだからこそ、ブレイクし、更に時を経た現在でまた、再ブレイクしたのでしょうね。
当時は、
松田聖子さん、中森明菜さん
堀ちえみさん、石川秀美さん、
早見優さん、松本伊代さん…
と、『アイドル黄金時代』といっても過言ではないくらい、人気のアイドルは沢山いました。
歌がうまいだけでは人気は上がらず(むしろ、歌は二の次だったような(汗))、容姿はもちろん、バラエティタレント性なども重視されていました。
といっても現在の、
AKBグループや坂系グループのほうが、求められるタレント性のハードルは高い(汗)
と私は思いますが…。
昭和の時代は昭和の時代で、
「芸能活動は『ブラック』で当たり前。人気が出れば、年中無休&睡眠時間3時間以下。」
ってのが『芸能人』だったので、大変そうではありました。
ブレイクのきっかけはテレビアニメ『みゆき』のヒロイン役
一方、同時期に応募していたキティ・フィルム製作の映画『ションベン・ライダー』のオーディションでは次点となり、
それがきっかけで、同じキティ・フィルム製作のテレビアニメ『みゆき』(フジテレビ系/83~84年)の『若松みゆき』(妹の方)役の声優に抜擢されました。
この『みゆき』が大ブレイク。
原作は、あだち充さんで野球漫画『タッチ』も、同時期くらいにヒットしていました。
ここから、荻野目洋子さんの知名度があがったのだと思います。
荻野目洋子さんに転機をもたらした『ダンシング・ヒーロー』
歌手としてのデビュー曲「未来航海-Sailing-」はオリコン32位まで上昇し、まずまずのヒットを記録しました。
しかし、そこから1年半ほどは伸び悩みます。
そんな荻野目洋子さんに転機をもたらしたのが、あの『ダンシング・ヒーロー』でした。
「ダンシング・ヒーロー」はイギリスの曲を日本語カバーした曲であり『ユーロビート』という曲ジャンル、『バブリーダンス』の生まれた『ディスコ』(現在で言う『クラブ』)で、流されるタイプの曲でした。
それまでは、ポップスだった荻野目洋子さんの、大きなイメチェンであったことは言うまでもありません。
これが大ヒット!
ずば抜けた歌唱力とキレのあるダンスの『実力派アイドル』として、荻野目洋子さんの名は世間に広まったのです。
2017年の再ブレイクも『ダンシング・ヒーロー』
この曲と荻野目洋子さんは、何か深い縁がありそうですね。
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結論:荻野目洋子さん『ダンシング・ヒーロー』が運命の曲だった!
さてここまで、荻野目洋子さんのデビュー当時の経歴や、ブレイクのきっかけ、若い頃の『ダンシング・ヒーロー』などを見てきたわけですが、最後に今回のポイントを振り返ってみましょう。
- 小学生時代、グループ『ミルク』で芸能活動していた。勉強に専念するため活動を休止
- 『スタ誕』でまさかの落選。歌やダンスを本格的に習い始める
- テレビアニメ『みゆき』でヒロイン役に抜擢。声優として知名度を得る。
- 1年以上売れない時期を重ねるも、あの『ダンシング・ヒーロー』で大ブレイク
いかがでしたでしょうか。
大人になっても変わらない声質と歌唱力に、圧倒されてしまいますね。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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