ぱっと見た感じ、線の細い女性らしい柚希礼音さん。
ところが、4年前に宝塚で、平均2~3年のところ6年も、男役トップスターの座に君臨されていた方なんです。
あまりの人気に、宝塚を退団する際のパレードに、過去最高の1万2千人を集客したとか!
宝塚の歴史を塗り替えてしまった、様々な逸話があるようです!
その前に、柚希礼音さんが一体どれほどすごい人だったのか、徹底調査します。
柚希礼音さんのプロフィール(時々ツッコミます(笑))
柚希 礼音(ゆずき れおん)
生年月日 1979年6月11日 (年齢 40歳)
↑元宝塚の人は歳とらないね
出身地 大阪府 大阪市 福島区
身長 172 cm
↑背たかっ
血液型 B型
職業 女優
事務所 アミューズ
公式サイト 柚希礼音 公式プロフィール
柚希礼音さんはどんな人?宝塚での活躍は
9歳の時
『仲の良い友達が、バレエを始めて遊んでくれなくなったこと』
が、きっかけで柚希礼音さんもバレエを始めました。
当時から背が高かったので、バレエ教室の講師から度々宝塚志望を勧められるも、本人至って興味なし。
高校在学中に身長が伸びすぎたため海外留学を考えますが。またしても、バレエ教室の講師や両親の熱心なすすめに根負けし、宝塚歌劇を志すようになりました。
1997年、宝塚音楽学校入学。
1999年、85期生として宝塚歌劇団に入団。
入団時の成績は40人中2番というトップクラスの成績でした!
その後も、入団1年目ながら出世役と言われるドアボーイ役に抜擢されたり、
2000年には、ドイツ・ベルリン公演『宝塚 雪・月・花/サンライズ・タカラヅカ』に選抜メンバーに選ばれました。最下級生での参加でした。
2001年には、なんと『ベルサイユのばら2001』の新人公演アンドレ役に抜擢されました!
どんどん大役に抜擢されてすごいですよね!
2009年4月、ついに入団11年目で、星組トップスターに就任します!
2014年11月、日本武道館にて『REON in BUDOKAN〜LEGEND〜』を開催しました。
これは、1998年に当時花組のトップスターだった真矢みきさんが行って以来、16年ぶりとなるリサイタルでした。
この公演は、観客参加型で休憩なし2時間というハードな公演でしたが、ファンを大切に思い
う、柚希礼音さんの
「一緒に楽しもう!」
というサービス精神が、沢山込められたものでした。
ここが、人気が爆発的に上昇した所以なのかもしれませんね!
伝説の退団『さよならパレード』過去最高1万2千人
2015年5月10日、『黒豹の如く/Dear DIAMOND!!』の東京宝塚劇場公演の千秋楽をもって柚希礼音さんは、宝塚歌劇団を退団することになります。
千秋楽公演は、宝塚歌劇のライブ中継史上最大規模で行われました。
- さいたまスーパーアリーナ
- 宝塚バウホール他
- 全国45ヵ所の映画館
- なんと、台湾の映画館でも生中継されたほど!
総勢2万6000人を動員しました。
終演後、東京宝塚劇場前で行われた『サヨナラパレード』には、1万2000人が集結し、これがなんと、過去最高を記録します!
平成に入団した生徒では、柚希礼音さんのトップ就任は、6年となり、春野寿美礼さんを抜いて、第1位となったそうです。
なんだか…、舞台のお芝居よりもドラマチックです。
柚希礼音さんはまるで、宝塚でスターになるために、生まれてきたようにも感じてしまいます。
結論:柚希礼音さんは、宝塚で輝く星になるために生まれてきた!
さてここまで、柚希礼音さんの輝かしいスターへの階段を、恍惚の溜息と共に見てきたわけですが、最後に今回のポイントを振り返ってみましょう。
- 最初は宝塚に興味なし。講師や両親の熱心な勧めに根負けで目指す
- 入団時の成績は40人中2番というトップクラス
- その後トントン拍子に重要な役に就き、入団11年目で、星組トップスター 6年就任
- 『サヨナラパレード』には、1万2000人が集結。過去最高!
いかがでしたでしょうか。
こんな華やかな人生を送る人がいるんですね!
きっと、見えないところで、並々ならぬ努力をされてたと思います。
しかし、神々しいスターのオーラは眩しすぎて、それを隠してしまいましたね…。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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